『オークストリートの異変』なぜ現代ではなく1980年代が舞台?監督が明かす「ふたつの理由」

J・J・エイブラムス製作、アン・ハサウェイ&ユアン・マクレガー主演の恐竜アドベンチャー映画『オークストリートの異変』は、1980年代初頭のアメリカ郊外を舞台にしている。
普通の住宅街に、とつぜん恐竜が現れるパニックを描く本作。現代ではなく、なぜ80年代なのか。スマートフォンもインターネットもない時代にすることで、突如現れた恐竜を前にした家族を“孤立”させやすかったからなのだろうか?
「実際のところ、現代を舞台にしていたとしても、彼らは電力を失うことになりますし、そういった情報にアクセスする手段も失うことになるので、そこはあまり変わらなかったと思います」。THE RIVERの単独インタビューにそう語るのはデヴィッド・ロバート・ミッチェル監督だ。
劇中では、平穏な住宅街オークストリートが突如として異常事態に見舞われ、街全体が停電。アン・ハサウェイとユアン・マクレガー演じる夫婦とその家族は、外部との接触手段を失ったまま恐竜が徘徊する街で生き延びなくてはならない。つまり現代が舞台だったとしても、スマートフォンは早々に役に立たなくなるというわけだ。
では、なぜ80年代なのか。ミッチェルにとって大きかったのは、自身の原体験だった。「僕にとって出発点になったのは、やはり自分自身の個人的な記憶でした。あの時代の子ども時代の思い出を通して脚本を書いた、ということです」。
ミッチェルは1974年生まれ、ミシガン州育ち。『オークストリートの異変』もアメリカ中西部の郊外を舞台としており、監督自身が少年時代を過ごした時代と風景が、そのまま本作の土台となっている。
もうひとつ大きな理由となったのが、ミッチェルが幼少期から親しんできた往年の映画だった。
「この映画は1970年代後半から80年代初頭のスピルバーグ作品をはじめ、当時のさまざまな映画から強く影響を受けています。もちろんスピルバーグ作品だけではなく、あの時代のブロックバスター映画の多くに、僕は個人的に強い思い入れがあります。
あのころの映画には、キャラクターを軸に物語を現実に根づかせているものが多かったと思うんです。大きなスペクタクルもありつつ、それを観客が感情移入できるキャラクターを通して体験するからこそ、意味を持つんです。」
しかも、80年代へのこだわりは美術や衣装だけに留まらない。「時代設定そのものだけでなく、カメラワークや構図といった面でも当時の映画を参照しました」と技巧を語る。「現代の映画と比べると、おそらくこの作品はカット割りも少し控えめです。そういうさまざまな方法で、あの時代の映画を意識していました」。
一方、プロデューサーのJ・J・エイブラムスは、80年代を舞台にしながらも、本作の物語には時代を超えるものがあると語る。
「この映画にはある種の『時代を超えた普遍性』があります。近所一帯で異変が起きて、あらゆる手段を失ってしまう。舞台は1980年代初頭ですが、不思議なことに、登場人物たちが抱えている問題は現代の人々にもそのまま通じるように感じるんです。」
なぜなら家族が最終的に直面するのは、スマートフォンやインターネットがあるかどうかなどとは関係のない、もっと原始的な問題だからだ。
「彼らが直面するのは、とても原始的な『生き残る』という問題ですから。物語がどの時代から始まったとしても、結局は同じようなサバイバルを経験することになると思います。」
少年時代に観た映画への憧憬を出発点にしながら、その中心に置いたのは、時代を問わない家族のサバイバル。恐竜が住宅街を闊歩する荒唐無稽なスペクタクルを、あくまで“普通の家族”の目線から描くという本作のスタイルにも、ミッチェルが愛した70〜80年代映画の精神が受け継がれているようだ。
『オークストリートの異変』は大ヒット上映中。
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